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大阪のJazz Studio"K'z"のブログ
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e5576fd3.jpg本来なら今日は、
97才の叔母の大往生を
寿ぎたかったのですが、
松本某の暴言事件で、
目尻が吊り上がってしまい、
心穏やかになれませんでした。

3月11日の東北大震災以来、
私のまわりでも凶事が多く、
毎月のように訪れる
病気や怪我や逝去の知らせに、
どこかがすり減って、
疲れがたまっていくのを止められません。




先月末に母の十七回忌を済ませたばかりでしたが、
ちょうどその1週間後に叔母が亡くなりました。

そして、その葬儀当日は母の命日という巡り合わせです。
オカルト好きではありませんが、
何か繋がりがあるような気もしないではありません。

勝手な想像ですが、
あの世の母が、
「もう充分生きたでしょう〜そろそろこっちへおいで〜」と、
叔母を呼んだに違いないと思っています。

叔母の危篤の知らせを聞いて、随分可愛がってもらったのに、
長らく逢いに行ってないことを申し訳なく思いました。

そして、もっと申し訳ないことに、
叔母が亡くなったら、
「あ〜又葬式かぁ〜」とため息が出ました。

被災地では行方不明のまま、
まだお葬式を出す事もできない方が沢山おられるようです。
お葬式を出せることが、まだしもましであるかもしれないなんて、
何といえばよいのか分かりませんが、
弔いの場に行くのが、こうも立て続けでは、心底疲れます。

ただし、今回は97才という高齢でもあり、
お迎えが来るまで家族による手厚いケアを受けて、
静かに逝った大往生でしたので、
葬儀場には悲壮感がありませんでした。

家族葬だからね、ということでしたので
私のイメージの中ではひっそりと10人程度の
お式かと想像していました。

ところが、遺族席には30数名の親族が居並び、
おつきあいのあった親族以外の方もいれると、
50人ほどの参列者がありました。

まずその親族の多さにびっくり!
一家に子供4人などという家庭は私のまわりには、
見当たりませんが、それは特別ではないようなのです。

叔母の子の世代は3人。
その配偶者3人。
その三人から孫が9人。
その配偶者が2人。
ひ孫が4人。
直系のこれだけですでに21人。
同地域に住む叔母の甥や姪、
その配偶者と子供達。私。
配偶者の実家からの参列者をいれれば、
ゆうに30人は越しますね。

人間として立派な成果ですよね〜!
種の存続に貢献してますね〜!

7ed44da4.jpg先日の高野山での歴史の重みに続き、
名も無き一般市民である
叔母の成し遂げた偉業に、
心底頭が下がりました。

葬儀の席では
故人にまつわる
個人的な思いや感情に
埋没してしまい、
こんなに客観的に参列者を
眺められたことがなかったので、
人間の生命やその営々と続く営みを
系列化して見られた今回は、
実に有意義でした。

叔母に比して、人類への根本的な貢献度が足りないと、
自覚させられた一日でした。


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c0492ef3.jpg はるばる高野山へ、
北条政子が建立したという、
重要文化財のお寺へ、
私事で参りました。

法要中の隠し撮りでございます!



バシャバシャとシャッター音が
するので、すぐにバレました。

お若い人柄のよさそうなお坊さんが、
我慢の限界を越えたのでしょう。
「ここではお写真はご遠慮下さい」と、
注意に来られました。

スイマセン、すいませんと謝りつつ、
すっかり過去帳も撮影致しました。
過去帳には、このお寺に葬られている我が家の祖先の名前と、
このお寺を墓所とするにあたり、
寄進した当時の金額が明記されているのです。
明記された金額を現在の貨幣価値に換算すると・・・
腰が抜けました!
あ〜、銀行に預けといてくれたなら〜!!!

ここ高野山はある意味で、
千年の永きに亘り功なり名とげた者、
またはそうありたいと願った者の夢の跡ですものね。

堂内のこの写真のちょうど裏側にあたる場所には、
千年近くに亘りこのお寺が供養する数多くのお位牌が、
昔は玉虫色に輝いていたであろうお厨子におさめられて、
漆黒の闇の中に鎮座しています。

施主としてお参りに行くと、
線香の煙で黒く燻されたお厨子を開いて、
ろうそくの灯りで中を照らして見せてくれます。

ありがたいお経もあらばこそ、
同行者と小声で私語を交わし、¥マークが目の前にちらついていると、
さっきの僧が、「過去帳をコピーいたしましょうか?」と、
聞いて下さいました。
ふえ〜、最近はお寺も開かれてきたのね!!!
多分、過去帳を写真に撮るなどという、
傍若無人な振る舞いをしたのは、
私だけではないのかもしれません。
いくら私が厚かましい大阪のおばちゃんだとしても、
それにはこんな理由がありました。

バブルの金余り時代に、
古い墓がブルドーザーで容赦なく掘り起こされ、
その横には犬の墓が立っているという有様を見て、
仏の道も金次第という言葉が浮かびました。

今回も前回の墓参から10年以上を経ていて、
母の十七回忌ということもあり、
あまり永く参拝しないと、
無縁仏として墓を処分されかねないと危惧したからで、
純粋な先祖に対する追慕の念からの墓参ではありません。

仏教の聖地という名のもとに、
一般には不明な高額な回向料や、
墓所の取得、その他のしきたりなど、
今や高野山といえどもはっきり明示せねば、
やっていけない時代が来た訳ですね。
それが、過去帳のコピーというおよそ高野山らしからぬ
現実的な対処方法として現れてきたのでしょう。
当然の帰結ですね。

墓の掃除を終えて、
不心得にも一度も参拝したことのない奥の院を、
見ておこうということになりました。

a9b4b8e9.jpgこの太い幹をご覧ください。







参道は天までのびる木々の中を
埋め尽くす墓石の間に延びています。


e1da615e.jpg








334e91c6.jpg



千年の余に亘り、
歴史上の人物が眠っています。



8dba69f9.jpg



忠臣蔵で名高い、
浅野家の墓所です。





6f10011a.jpg




2e24ae43.jpg









この階段の上が、
右の墓所です。







a3de4739.jpg

石田三成の墓。


16fa75da.jpg


親鸞上人も
眠っています。






fbb1db9c.jpg





松下幸之助氏の寄進の灯籠です。




6662caec.jpg よく降りますね〜
・・・梅雨だからね〜・・・


雨の滴が気持ち良さそう・・・









66b1321f.jpg

みずみずしく、生き生きしてますね〜   


私は低気圧は苦手です。

頭の働きが、
いつにもまして低迷します。 


S銀行へ行きました。
通帳記入しようとしたら、
ダ〜メ!ダメダメ!
磁気が読み取れませんよ〜!と、
ATMからのWARNING です!

アレ〜、一緒に色んな通帳入れてるからダメになったのね、きっと。

では、窓口で対処してもらいましょう・・・

お客様係の男性行員に呼び止められました。

銀行員:「どうされましたか?」
とても丁重です。    

私: 通帳を手に、
「磁気が読み取れないっていうんですけど・・・」  

銀行員:「その御通帳はM銀行さんのですね」 

私:「えっ・・・・」   

そのあとのしどろもどろはご想像にまかせます・・・

落語の「夏の医者」ではありませんが、
(ご存じない方は今は亡き枝雀師匠のビデオをご覧下さい・・・
この落語の落ちは「夏の医者は腹にワルイ」と下げるのです)



私の場合は、
梅雨の雨は頭にワルイ・・・           cdeeb550.jpg
でございます。
あちこちから、                   4f6e15f4.jpg
私が落ち込んでいるのではないか・・・と、
声なき声が聞こえてきます。

追悼文を二回も書いたので、
心配されたのでしょう。

皆さん、ご心配かけて恐縮です。

心配してくださる方々は、
皆さん私よりもお若く、
まだまだ自分の人生に、
希望や期待がおありになる。

これからの人生に希望がないとは申しませんが、
これまでの経験と歴史が違うので、皆さんが想像される境地とは、
そのステージが違うと申しましょうか・・・

波立つような感情の揺れはもう存在しないのです。
相応の悲しさはありますが、
落ち込んで悲しみから逃れられないというようなことはないのです。

お互いの人生の、
無垢で、無知で、恐れを知らぬ時期を共有した同志、
その死に向き合う時、
今更ながら自分の人生における『青春』が、
完全に終わりを告げたのだと
感じました。

64e6d62e.jpg静かな感慨です。

まだ現役である皆さんが
感じられるような
胸を刺す痛みや、
胸に空いた埋められない
穴ではないのです。



それは皆さんの好意から生まれた空想の産物、
絵に描いたようなセンチメンタリズムです。

私の思いは、
お互いの人生の
ある時期への哀悼であり、
いずれは私にも訪れるであろう
終焉への確かな自覚です。

実際に人生をともにした近さゆえに、
こうして人は生きて、
そして去っていくのだという道程を、実感として反芻しているのです。

今までに父を送り、母を送り、友人を送りました。

10年前に幼友達を自死で失った時は、
もっと生な感情に揺さぶられ、長く悲しみました。
彼女を救えなかったことで自分を責めました。

でも今では、何故彼女は逝き、
自分はここまで来られたかを、冷静に説明できるようにもなりました。

彼女は誰ももう自分を必要としない、
誰からも求められていないと、病に取り憑かれました。

でも私はたまにそんな気分に陥る時があったとしても、
その考えのもっと手前で誰かの役に立ちたいと思う自分が、
いることに気付いたのです。

だから私は生きる事をあきらめたりしません。

そしてその考えが、亡くなった母による刷り込みだと
ようやく理解できる歳になりました。

母を誇りに思えて幸せです。


二度の追悼文は、           75f088a4.jpg
過ぎ去った青春への憧憬と、
彼の後半の人生への献辞です。

Happy Endingを
迎えなかったからこそ、
違う意味でのお互いの道を
模索してここまでたどり着き、
悼む心を持ち得たのです。

無垢と無知と恐いもの知らずこそが、
若さの全てで、
今ある自分を導いたのです。

この歌が身に沁みます。

If I cried a little bit when first I learned the truth,
Don't blame it on my heart,
Blame It On My Youth.

“Dream”をさらっと8小節ばかり。       d37763b4.jpg
宮岡さんのTrumpet、
たむけの献奏でした。
ありがとう。
なんていい選曲だったのでしょう!

内心、
この会場で小難しい曲を
それらしく吹かれたら、
白けるだろうな・・・
と思っていた私でした。

やさしくて、簡潔で、心に沁みました。

読経と献奏と焼香と、
お兄様のご挨拶のみのお式でした。

ご葬儀とは、残された者が故人と決別するための儀式です。

「葬式なんかいらんねん・・・
死に顔なんか見られとうないんや〜」と、
軽い口調であなたは言ってましたね。

短い闘病生活の間に、何度も反芻したであろうその言葉は、
生に対する執着を断ち切るための儀式だったはずです。

それらの言葉を軽々と口にすることで、
死を恐れていないと自身に言い聞かせていたのかもしれません。

はるか遠い昔に、
自分の弱さ故にたどった歴史を繰り返さないため、
ある時期から生き方を完全に変えたあなたでした。

内にも外にも、弱音を吐かない、
もう牙を剥くこともない、いい人になりましたね。

あまりにも、環境に迎合しすぎると見えて、
批判的になった時期もありましたが、
随分変わったねという私の言葉に、
「底まで落ちたら、もう這い上がるしかないよ」と、
語ったあなたの言葉には説得力がありました。

恐れもなく死を受け入れられる人間がいるとは思えません。
恐れやつらさや悲しみを表に出さず、
その葛藤を越えて、自身に課したふっ切れた姿勢を取り続けること、
多分それが彼の最後のパフォーマンスであったと思います。

酸素ボンベ持参で吹けなくなるまで吹いて逝きました。
「ええかっこしい」の極みです。

その「ええかっこしい」の遺志は守られて、
ご遺族での密葬を済まされてのご葬儀でした。

ウン十年のうちに面変わりして、
お互い誰だかよく分からない沢山のMusicianが、
式場いっぱいに集まって送ってくれました。

閉式後の会場ロビーは旧交を温める0ld Boysの
交歓会場と化して、駐車場にまではみ出し
喪服の黒さえなければ誰かのコンサートがはけた後と
見間違えそうでした。

葬式なんか不要と思ってたけど、
俺の葬式もみんなの役に立ってよかったな〜なんて、
あなたは天国から言ってるかもしれません。

ce4d5b33.jpg




Things, 
Never are as bad as they seem, 
So Dream, Dream, Dream.

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自己紹介:
枇杷、桃、蓬はもう一生食べられないアレルギー体質の私。
アレルゲン山ほどの世の中で、
負けずに闘う
アレル(荒れる?)バスター、
ここにあり〜だぞ!!!
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