大阪のJazz Studio"K'z"のブログ
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神戸市立博物館へ。
錦絵の黄金時代ー清長、歌麿、写楽
これだけの作品が日本ではなく、
ボストン美術館に収蔵されてるなんて!!!
錦絵と呼ばれる多色摺り木版画、
絵師の腕前もさることながら、
下絵を木に掘り込んで彩色するという、
気の遠くなるような名人芸に圧倒されました。
現在のエンタメ報道と同じように、時の人としての遊女の姿絵や、
役者絵など、有名人を見たいと思うのはいつの世でも変わらないのねと、納得。
日本画には動きがないという思い込みは、この絵で払拭されました。
金魚すくいしてるんです!!!
もう一枚、鏡を覗き込むおねえさんが
うつぶせの赤ちゃんに
あっかんべーしている
可愛い絵もありました。
浮世絵の人物は、
みんな同じ顔してる~なんて、
間違いでした。
役者絵にはそれぞれの個性があり、
作者によって、美人画の顔も違ってました!
この歌麿は、
大川を背景
夕涼みする遊里のおねえさんたちです。
映画を見ているような遠近法で、
驚かされました!
すべての絵に描かれた人物の
着ている衣服の柄が
丁寧に書き込まれていて、
これらが彩色木版画であることに、
その細密さと彩色に驚くばかりです。
この文化度の高さ!
日本人ってすご~い!!!
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ぜん~ぜん、全く、毛ほども知りませんでした!
フラメンコのスタジオが出来ていたなんて!
それもB級グルメの我々が出没する界隈に!
『Ardiente・アルディエンテってスタジオ
知ってる~?』と知人から電話があったのです。
『え~?』
『そこでフラメンコのショーがあるんだって~』
早速ネットで調べて行ってきました。
細い階段を下りると、そこは小さなシアター!
フラメンコのポスターが貼られ、
すでに、沢山の方が談笑しておられます。
今日は2回公演で、
すでに一回目を終えての休憩時間のようです。
ホールにはバーが併設されていて、我々の行くライブハウスの趣です。
バーの反対側にステージが、
主人公の登場を待っています。
まずはミュージシャンが板付きです。
歌い手(cante)が二人、
ギタリスト(guitarra)
ヴァイオリニスト(violin)の4名です。
譜面などは見ません!
踊り手(Baile)登場です!
当夜は女性2人、男性1人が踊りました。
歌い手は手拍子でリズムを取ります。
リズムの基調は3連、6連、9連符。
踊り手の靴もリズムを打ち鳴らします。
どのプレーヤーも踊り手を、じっとみつめて、
間合いをはかり、演奏します。
歌はスペイン語なので、全く分かりませんが
発声は地声で、民謡の唱方に近いようです。
自然に鍛えられた声ですね。
フラメンコを生で見るのははじめてですが、
多分、ジャズのアドリブのように、
あらかじめ決められたパターンでの
即興的な演奏と踊りが
阿吽の呼吸で繰り広げられているのでは
ないか・・・と感じました。
乗せ上手な観客も手拍子に参加して、
いいタイミングでスペイン語の掛け声がかかります。
歌舞伎と全く同じです!
個性が違い、
踊りが違います。
端整な踊り、
奔放な踊り、
歌とまるで同じです。
私の携帯が、踊り手の早い動きを
捉えられないのが残念です!!!
和紙で作ったお人形が
踊ってました。
こりゃ、病みつきになるかも!!!
久しぶりにお目にかかると
いつも食の探求へとご招待くださいます。
生まれて初めて『かます』のお刺身を
いただきました!
そうです・・・あの干物でいただく
『かます』です!
皮があぶってあって、
脂がのった白身は・・・う~ん、旨い!!!
大阪は吉兆で修行されたという親方がお一人で切り盛りされている、
カウンター割烹のお店です。
お料理に合わせて、日本酒、焼酎、ワインと選りすぐりのお酒が出てきます。
またまた食い気に走って、次々に出されるお料理を撮り忘れてしまいました。
バカボンがランチに連れて行ってくれたイタリアンは、
お客はよく入っていましたが、
傑出した料理もなく、
高くも安くもなく、
『ま、普通やね・・・』と二人でさびしく相槌をうつのみ。
唯一取り上げるべきは、
トイレの便器が四角(!)だったことくらい。
(写真撮っとけばよかった!)
またこの四角のトイレの座り心地の悪いことといったら!!!
四角のトイレで客が来るかな?~まぁ、東京やし~話題にはなるかな~
など言いつつ不満足な私達でした。
ひと、人、人の波です。
羽田の出発ゲート中二階にある
食事処からの景色です。
H氏ご招待以外の東京での外食は、
まったくハズレでした。
ここは旅人用の忙しいお店でしたが、
この『何とかセット』はなかなか充実しておりました。
茹で立ての枝豆は塩加減がよく、
よく冷えた生ビールと一緒にすばやく供され、
カラッと揚がったてんぷらとお漬物が後から運ばれてきます。
昼食をとりそびれた旅人の、
出発までの時間をつぶすには最適のメニューと価格でした。
また足を運ぶ価値あり!
旅の終わりがここで良かったと思ったことでした。
人には必ず何かひとつぐらいの取り得があるものです。
ある人は、始めての場所でも地図なしで目的地に行き着ける!
・・・すばらしい方向感覚!!!
ある人は、異常(!?)に物覚えが良い!
・・・過去の出来事を(忘れて欲しい事まで)事細かに記憶している!
またある人は、起こさない限り、いつまでも寝ていられる!!!
・・・これを特技といえるかどうか・・・
B級グルメを自認する私の場合、
生来の食いしんぼゆえか、
何故か美味しいものに鼻が利くという特技が!
たとえば、店構えをみてこの店はいけそう!・・・とか。
この直感で開拓した飲食店は、ほぼ100%外れたことがありません!
でも大事を取って、まずはランチで試します。
最近ご近所にオープンしたこのお店もその中の一軒です。
『ゆいまーる』
沖縄料理(石垣島)のお店です。
これはある日の『ヘルシーランチ』
左上から右まわりで、
野菜サラダ、もずく酢、長芋の酢味噌かけ
あおさ汁、ごーやチャンプルー、ご飯。
飲み物は色々ある中から、さんぴん茶をたのみました。
これはデザートのトマトシャーベットです。
トマトのシャーベットははじめての経験でした。
自然の甘みと酸味が程よくて、口中がさっぱりしました。
このシャーベットの上に乗っているのが
輪切りのシークァサー!
すだちとよく似たこの柑橘は素晴らしい
料理の引き立て役です。
もずくの上にも乗っていて、
その香りと舌を刺さない優しい酸味が、
暑さで脱水状態になっている身体に、食欲を思い出させてくれました。
石垣島から取り寄せておられるそうです。
店内にはスティールパンやウクレレのBGMが流れて 、
什器類も土地の香りのする沖縄仕様です。
すべてがナチュラルで、島の風が吹いてくるようでした。
その後、夜にも行きましたが、
食い気が先行して写真を撮り忘れました。
詳細なご報告はまたの機会に!
八重山そばの器のなかでこちらを睨んでいるのは、
シーサーです!
ある人は、始めての場所でも地図なしで目的地に行き着ける!
・・・すばらしい方向感覚!!!
ある人は、異常(!?)に物覚えが良い!
・・・過去の出来事を(忘れて欲しい事まで)事細かに記憶している!
またある人は、起こさない限り、いつまでも寝ていられる!!!
・・・これを特技といえるかどうか・・・
B級グルメを自認する私の場合、
生来の食いしんぼゆえか、
何故か美味しいものに鼻が利くという特技が!
たとえば、店構えをみてこの店はいけそう!・・・とか。
この直感で開拓した飲食店は、ほぼ100%外れたことがありません!
でも大事を取って、まずはランチで試します。
最近ご近所にオープンしたこのお店もその中の一軒です。
『ゆいまーる』
沖縄料理(石垣島)のお店です。
これはある日の『ヘルシーランチ』
左上から右まわりで、
野菜サラダ、もずく酢、長芋の酢味噌かけ
あおさ汁、ごーやチャンプルー、ご飯。
飲み物は色々ある中から、さんぴん茶をたのみました。
これはデザートのトマトシャーベットです。
トマトのシャーベットははじめての経験でした。
自然の甘みと酸味が程よくて、口中がさっぱりしました。
このシャーベットの上に乗っているのが
輪切りのシークァサー!
すだちとよく似たこの柑橘は素晴らしい
料理の引き立て役です。
もずくの上にも乗っていて、
その香りと舌を刺さない優しい酸味が、
暑さで脱水状態になっている身体に、食欲を思い出させてくれました。
石垣島から取り寄せておられるそうです。
店内にはスティールパンやウクレレのBGMが流れて 、
什器類も土地の香りのする沖縄仕様です。
すべてがナチュラルで、島の風が吹いてくるようでした。
その後、夜にも行きましたが、
食い気が先行して写真を撮り忘れました。
詳細なご報告はまたの機会に!
八重山そばの器のなかでこちらを睨んでいるのは、
シーサーです!
買ったばかりのバラの花束です。
ママちゃりのうしろの荷物入れから飛び出して、
転落しました。
どこに転落したかといえば、
ここなのです!
カン、カン、カンと警報が鳴り響く踏切を
超特急で、突っ切ろうとした私。
線路で自転車が軽くジャンプしたところ、
衝撃で花束が飛び出しました。
気がついて振り返ったら、踏み切りは閉じてしまい、
拾いにいけません!
あ~無残な轢死バラになるかと、
信じてもいない神に祈りたい気持ちでした。
なぜか、映画でよくみる十字をきるあのしぐさが
こういう場面にぴったりだと頭に浮かびます!
人智の及ばぬ局面での神、仏頼みなのに、
信心深い仏教徒の母をもつ私が、
何故に『アーメン』と十字をきるのでしょうか?
このような状態で『何とか助けて~!』と願うのは、
合掌するよりも十字を切る方がふさわしいと
感じるのは何故なのでしょう?
私見ですが、多分合掌の持つ意味が、
現世の即物的な希望よりも来世への成仏を祈願するものと、
どこかに刷り込まれてしまっているのかもしれません。
この一瞬の哲学的(?)考察は、
電車の接近で破られました。
息を殺してみていると、
轟音とともに電車は行き過ぎ、
車輪の間から垣間見えるバラは、
風圧でふらふらと踊りながらも轢かれることはありませんでした。
そして、こんなに、元気に咲いてます!!!
生きていることのうれしさや幸運を
こんなに身近に、
手にとって感じられるなんて・・・
教えてくれてありがとう!
奇跡のバラ!かも・・・