大阪のJazz Studio"K'z"のブログ
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いやはや、疾風怒濤の二ヶ月でございました。
ようやく、ちと落ち着きを取り戻し、
物を書くという作業に目を向けられます。
気がつけばすでに師走ではありませんか!
一体この1年、何をして来たのでしょうか?
今年は日本にとって、試練の年でした。
北から南まですべての日本人が3/11の痛みを共有しました。
東日本は福島は、どう救済されるのでしょうか?
未だに光りは見えて来ません。
そして昨年の11月末から今日まで毎月、
私のまわりでも人の死なない月がありませんでした。
私のこれまでの人生でも最悪の年でした。
逝く人を送るだけの年なのでしょうか?
大きな災厄の起る年には、
身の周りにも不幸が続くという、
負の連鎖が呼び起こされるようです。
95年の阪神大震災の時には、
母と共に、癌と闘いました。
母は逝き、私は生き残り、
16年を経て、
今また多くの人との別れを経験しています。
今度は年をとった分だけ、
現実の重みを跳ね返す力が弱まっています。
葬儀の知らせを受けるたびに、
『もう、いやだ!もう参列したくない!』と
弱々しい声が頭の中で響きます。
今年は、
親戚やごく親しい身内のような大切な人や、
同じ時代を生きてきた
少し年上の先輩ミュージシャンの方々が
相次いで亡くなられました。
『みんな、順番。そういう年回りになってきたのよね』
なんてしたり顔で言える人は、まだ大丈夫!
自分にお鉢は回って来ないと信じていられる人だから。
16年前は、まだ今より数段若く、
背負っている大きな責任を全うしなければと、
そればかりで駆け抜けたので余裕がなく、
自分の病気や身内の死に対しても、
気落ちしたり、さめざめと悲しむ暇さえ持てなかった。
今のように生きることへの不条理や憂鬱を感じることもなく、
ある意味明快でふっ切れていたようにも思える。
なのに、このところの無力感には全く抗う術もなく、
日々じくじくと絡めとられて逃げられずにいる。
致し方ないが、どうしようもなく不快だ・・・
なんて純文学のアプローチみたいかな・・・
私の人生で二人めの自死にも出会い、
どんなことがあっても、
自分の責任を放棄するそれだけはしてはいけないと、
断言できるようにもなりました。
近しい人の死に直面して、
自分が死ぬのが恐ろしいと感じるのではなくて、
年を取るのが、全ての面で衰えていくのが、
実に辛いとつくづく感じさせられた
この秋でした。
ひとが生きて死んで行く、
その人の世の習いがひしひしと身に沁みる
年の瀬です。
ようやく、ちと落ち着きを取り戻し、
物を書くという作業に目を向けられます。
気がつけばすでに師走ではありませんか!
一体この1年、何をして来たのでしょうか?
今年は日本にとって、試練の年でした。
北から南まですべての日本人が3/11の痛みを共有しました。
東日本は福島は、どう救済されるのでしょうか?
未だに光りは見えて来ません。
そして昨年の11月末から今日まで毎月、
私のまわりでも人の死なない月がありませんでした。
私のこれまでの人生でも最悪の年でした。
逝く人を送るだけの年なのでしょうか?
大きな災厄の起る年には、
身の周りにも不幸が続くという、
負の連鎖が呼び起こされるようです。
95年の阪神大震災の時には、
母と共に、癌と闘いました。
母は逝き、私は生き残り、
16年を経て、
今また多くの人との別れを経験しています。
今度は年をとった分だけ、
現実の重みを跳ね返す力が弱まっています。
葬儀の知らせを受けるたびに、
『もう、いやだ!もう参列したくない!』と
弱々しい声が頭の中で響きます。
今年は、
親戚やごく親しい身内のような大切な人や、
同じ時代を生きてきた
少し年上の先輩ミュージシャンの方々が
相次いで亡くなられました。
『みんな、順番。そういう年回りになってきたのよね』
なんてしたり顔で言える人は、まだ大丈夫!
自分にお鉢は回って来ないと信じていられる人だから。
16年前は、まだ今より数段若く、
背負っている大きな責任を全うしなければと、
そればかりで駆け抜けたので余裕がなく、
自分の病気や身内の死に対しても、
気落ちしたり、さめざめと悲しむ暇さえ持てなかった。
今のように生きることへの不条理や憂鬱を感じることもなく、
ある意味明快でふっ切れていたようにも思える。
なのに、このところの無力感には全く抗う術もなく、
日々じくじくと絡めとられて逃げられずにいる。
致し方ないが、どうしようもなく不快だ・・・
なんて純文学のアプローチみたいかな・・・
私の人生で二人めの自死にも出会い、
どんなことがあっても、
自分の責任を放棄するそれだけはしてはいけないと、
断言できるようにもなりました。
近しい人の死に直面して、
自分が死ぬのが恐ろしいと感じるのではなくて、
年を取るのが、全ての面で衰えていくのが、
実に辛いとつくづく感じさせられた
この秋でした。
ひとが生きて死んで行く、
その人の世の習いがひしひしと身に沁みる
年の瀬です。
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