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そういえば、そんな日があったような・・・
忘れてた~
美しいカーネーションをいただきました。
赤ではなく、斬新な色あいです。
花粉症も忘れて見とれてしまいました。
いつもステージなどでお花をいただくと、
花粉症だから・・・と人にあげてしまうのですが、
今日はいそいそと器をさがしていけました。
まるで娘のようななが~いつきあいの生徒さんからのいただきものです。
ほっこりした気分にただ浸っていればよかったのですが、
『今日は、世の中では母の日というそうです!』なんて、
バカボンにメールしてしまいました。
バカボンも上手いジョークで返信してくれればいいんだけど・・・
と思っていたら、返事が来ました。
『言い忘れましたが、5月5日は世の中ではこどもの日というそうです。』
お見事!
バカボンが連休で帰郷。
その滞在語録。
その1
よそのお宅へお邪魔しての切実な一言!
『僕の部屋、ここの台所くらいです!』
その2
『今まで気がつかんかったけど、
大阪、ガッラ悪いなあ~!』
その3
文化人類学的考察。
エスカレーターでのマナー。
東京はレーンの右側が追い越し用。
大阪は左側が追い越し用。
反対側を駆け上がって顰蹙をかったらしい。
『なんでや???』
バスの乗り降り。
東京は前方ドアから乗車して中央ドアから下車。
大阪は中央から乗車して前方から下車。
『なんでや???』
うどんの汁の色とともに、永遠の謎か・・・
今や家族ぐるみでゲストハウス アーヴァンというペンションを経営する
K'zの卒業生からです。
きっと今頃は、ゴールデンウィークで大忙しのことでしょう。
伊豆の下田、海まで1分。
ペンションは地続きの山に抱かれて建っています。
山には野生の猿も猪もいて、自生している木の実や果実を食べに来るらしい。
目の前の海岸はサーファーのメッカで、テレビのドラマのロケ地としても有名。
夏は海水浴客で大変な人出でしょう。
K'zの仲間は、みんなで行こう行こうといいながら、
夏や連休の繁忙期は、遠慮しようね、迷惑かけると悪いもんねなんて、
言ってるうちに訪ね損ねて現在に至っています。
私は繁忙期を避けて、真冬に訪ねました。
海で泳ぐことはできませんでしたが、
海風にそよぐ見渡す限り一面の水仙の群生や、
あちこちで湯煙をあげる沿線の温泉、
関西では見ることの出来ない吊るし雛や、
唐人お吉の故事などをゆっくりと散策しながら楽しみました。
オフシーズンならではのゆったりした時間でした。
都会に暮らすと時間も空間も限られていると感じてしまいます。
みんなせかせかと忙しく、
建物に切り取られて、垣間見える空は窮屈です。
海辺に立つと、
目の前には空と海とがひろがって、
その両者を分ける水平線はゆるやかな弧を描いて、
地球が丸いと教えてくれます。
呼吸が楽になって、
その広がりに安堵する自分がいます。
ペンションの運営に携わる彼女は、
現在息子さんの学業のため、都会と下田を往復して暮らしています。
文明と自然の兼ね合いとしては、理想的かも。
ちょっと遠いのが難点ですが・・・
私もできるものならアレルギー克服のため、
空気のきれいな海辺へ転地したいところです。
仕事は月曜から金曜まで。
金曜の夜から日曜までは海辺へ、
海から上る太陽で一日を始め、海へ沈む夕日で一日を終える。
こんなところで暮らしたい!
花弁に模様印字された胡蝶蘭は亡くなったペットの慰霊用だった。
そういえば、胡蝶蘭の送り主の女性は雨の日以外、
酷暑にも極寒にも負けず、
まるで赤ちゃんの外出時のように、
乳母車に3匹の小型犬を乗せてお出かけでした。
その3匹は多分ポメラニアンという種ではないでしょうか。
エレベーターで一緒になると、
キャンキャンと神経質にないて、
正直なところペットに慣れない私などには、
あまり可愛いとは思えませんでした。
そんな時彼女は、同乗者にごめんなさいねとあやまりながら、
子供に言うように犬たちをたしなめておられました。
きっといつもその調子だったのでしょう、
あとから乗って来られる時は、お先にどうぞと、
同乗を遠慮されました。
雨の降り続く誰も外出を控えるような日の、
束の間の晴れ間に、近所の公園で犬たちを遊ばせる姿を
見ることもありました。
犬以外の誰とも一緒の姿を見たことがなかったので、
多分一人暮らしで、愛情を犬にそそいでおられるのだろうと、
勝手な想像をしていました。
一人は寂しいものね・・・
私の暮らすこの古い共同住宅、
日本の常識ではマンションと呼ばれる住まいには、
管理組合規則というものがあり、
ペットの飼育禁止という条項があるにもかかわらず、
多くの住人が犬を飼っています。
小型犬から中型犬まで、エレベーターで毎日のように顔を合わせます。
管理規則でペット禁止をうたうようになったのは、
そう古いことではありませんが、
管理組合の歴代の理事や理事長がどうどうと犬の散歩を
させているようでは、管理規則の徹底は望むべくもありません。
一度飼ってしまった生き物を処分せよとは言えないし、
迷惑さえかけられなければと、
わざわざ声をあげて非難はしませんが、
自分たちが作った規則をまるで無視するその厚顔さには
腹立たしいというより半ばあきれていました。
それぞれが区分所有者なので、
共有部分での迷惑行為がなければ問題にならないとの考えなのでしょう。
あるときなどは、すでに管理規則で禁止されているにもかかわらず、
ある住人の犬がほえてうるさいので、
ペット飼育を「これ以降は」厳禁と徹底しようという提案がなされました。
『これ以降は』です。
自分たちのことは棚に上げて・・・です!
どういう神経してるんだか!
開いた口がふさがらないとはこのことでしょうか!
話が脱線しましたが、
十数年前はこの建物にも子供たちの声が溢れていました。
住人は子育てや仕事に手一杯で、ペットなど見たこともありませんでした。
時とともに住人も建物も年老いて、子供たちは巣立ち、
リタイアされた方が目立つようになってきました。
そのあたりから、ペットを飼う方が増えてきましたね。
仕事に出かける必要もなくなり、ご夫婦だけの暮らしは
単調になりがちなのでしょう。
人は自らが愛情をそそぐこととおなじように、
自分以外の誰かから愛され必要とされたいのです。
愛して、世話をして、また愛され、頼られる。
相手の目に映る自分を確認することで、
自分の価値を実感できるのです。
愛情をそそげば、飼い主以外には余所見もせず、
反抗期の子供たちのように逆らいもせず、
無垢な瞳で見つめ返して大好き大好きと甘えるペットたち。
心の隙間を埋めてくれるでしょうね。
というわけで、建物と同じに年を重ねた私も、
最近ペット問題には目くじらたてないでいられるようになりました。
人生の道筋で、その季節に応じて色々な必要が生まれてくる。
ペットもしかり。
まわりから、あなたもペットでも飼えばなんて声も聞こえてきますが、
あいにくアレルギーでとても無理。
それ以前に、私は今までやって来なかったことをやってみたい。
愛情をそそぐ対象としてペットを求めたりしないでも、
たっぷり溺愛したい対象がここにある~!
自分自身をたっぷり甘やかしたい~!!!
義務や責任から逃れて、自分の事だけ考えて暮らすんだよ~、
反省も自己批判もなし、勝手きままにやりたい放題~!
やっぱり、無理かな~・・・