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シ・ニ・チからメールが来ました。
New YorkでTormeを聴いたあの店は、
Michael's Pubという名前ですと。
セントラルパークイーストだったと思っていましたが、
カーネギーホールの近くでした。
記憶とはあてにならないものです。
やはりWoody Allenが吹きに来るのが、
お店の売りのようでガイドにも載ってました。
もうあれからウン十年も経ってるのに、
本当なの?
月曜日が出演予定日らしいのですが、
クラリネットよりも彼のスプーンプレイが、
大うけで盛り上がる・・てなことが、
書いてありました。
この記述からすると、
彼のプレイはDixie Land Jazzっぽいですね。
彼の昔の映画には趣味のいいスタンダードが流れていたので、
クラリネットを吹くときいて、なるほどと納得したものでした。
彼の映画で若かりし日のDian Keatonが、
クラブでピアノソロで歌うシーンがあって、
スツールに座り、声を張り上げるでもなく、
歌手然とテクニックをひけらかすでもなく、
(もちろん本職の歌手ではないので当たり前ですが)
女優さんの歌ですね、その語り口調の間がよくて、
しゃべり声そのままで、さらりと実に魅力的でした。
バックのピアニストも音数少なく、しかししっかりと、
彼女のバラードを支えてました。
DUO大好きの歌うたいだった私は、
これが、ピアノとのDUOの真髄やね!と
思ったことでした。
はじめてのNew York行から年を経て,
Studioの仲間と連れ立っての音楽の旅、
New York Tourを企画しました。
ありきたりのおのぼりさん旅行ではないものにしようと、
当時New York在住のミュージシャンの友人に
協力してもらいました。
それが前々回に書いたK'z Tourですが、
今回は人数も多く、男性も参加していたので、
ショーやライブを楽しんだ後もあまり心配せずに済みました。
でも、反対に同行の男性がホモのウエイターに擦り寄られて
女性陣でガードする場面もありました。
リンカーンセンターの向かい側にあるレストランで食事をしていたら、
とてもハンサムな金髪のウエイター・・・多分このあたりなので、
仕事のない役者さんのアルバイトかもしれません・・・が、
我々女性陣には目もくれず、彼に集中してオーダーを取ったり、
世話をやいたりと、アタックするのです。
帰りには、彼だけに山盛りのテイクアウトを持たせてくれました。
レストランから外に出ると、
私はエイズですと書いた紙を持った男性が物乞いをしていました。
それでも、団体であるという安心感と、
ホテルが治安の良いセントラルパークそばだったので
みんなで歩いて帰りました。
その年は日本人の『オルケスタ・デ・ラ・ルス』というラテングループが
国連で演奏するという快挙をなしとげた時で、
我々の滞在中にBLUE NOTEで演奏すると聞いて
みんなで応援に行きました。
乗ったタクシーの運転手さんが、
『場所は知ってるけど,行ったことないなあ 』といってました。
ショーチャージに50ドルも払う地元の人は少ないのでしょう。
NHKが取材に来ていて、たいそうな騒ぎでした。
Broadway Musicalもたくさん見ました。
ちょうど旧作のリバイバル上演が流行っていて、
我々の歌っているスタンダードはここから生まれたのだと
再確認したことでした。
二年続けてのNew York Tourは、
阪神淡路大震災で立ち消えになってしまいました。
また再開しようかと思っていたら、
2001年の9.11で完全に意欲がしぼんでしまいました。
息子が呼びにきたあの時を忘れられません。
『母さん、New York が・・・』
『これ、ほんまに起こってるん?』
以来、New York には行けません。
次回には、Blossom Dearyを!
Kenny RankinをNew York で!と思っていましたが、
二人とも旅立ってしまわれました。
なんとかShirly Hornが生きてる間に、
もう一度聴きにいきたいものです。
70年代の大ヒットナンバーですが、
POPのフィールドでは、
今や古典の部類に入っているのでしょうね。
この歌はたくさんのVocalistによって歌われましたが、
Billy Joel本人のよりもMel Torme盤のアプローチが好きで、
影響を受けました。
これを私が歌っていたころ、
初めて一人で旅したNew York は、
今よりもっと治安が悪いといわれていて、
海外も一人旅もはじめての経験だった私は、
緊張しっぱなしでした。
貧乏旅行だったので、友人の紹介でQueens住む
日本人ミュージシャン一家のお宅にやっかいになりましたが、
このステイ先はManhattanからは遠くて、
夜遅くの地下鉄などには一人では恐ろしくて乗れず、
ライブめぐりなどはあまり出来ませんでした。
行きたいライブやショーは9時や11時スタート!なんてねぇ!
カップル文化のアメリカでは、
エスコートしてくれる男性がいないと
夜の外出もままならないとよく分かりました。
このころはドルがまだ¥240くらいでした。
現在のように気軽に海外旅行に行けるパッケージツアーも、
あまりなかったような気がします。
海外へ出ると、
自分が日本人だとはっきり自覚できるという利点がありますね。
まだ当時日本人が少なくて、認知度が低かったのでしょうか、
どこへ行ってもまずChineseか?と聞かれ、
いやに大声で『No, I'm Japanese!』と胸を張る自分に、
よく、あれれ・・・私ってこんな人だっけ?と、
自問自答しました。
今ではお金をたっぷり使ってくれるブランド好きの日本人は、
どこでも歓迎される優良顧客ですから、
こんな経験をすることもまずないでしょうが・・・
隔世の感があります。
その滞在中、
New Yorkで誰もが知っている
唯一有名な日本人女性は、小野洋子さんでした。
ダコタハウスの前を通った時に友人のアメリカ人のご主人が、
ここにYOKOが住んでるよと教えてくれました。
ヘイ、僕の友達の日本人がここに来てるよ!なんて
冗談で大声を出して、友人にたしなめられてました。
当時は彼女を日本人女性の代表というには
いささか違和感があったのですが、
日本はFujiyamaやGeishaだけではないと世界に発信してくれた、
日本女性としての功績は大きいと、
今思います。
K'zのNew York Tourを思い起こすと、
ひと昔を飛び越えて、
我が心の青春へと時間が戻ります。
今年の発表会の曲のサンプルをさがしていて、
Mel Tormeのアルバムがすぐに思い浮かびました。
探していたのは、『All In Love Is Fair』、
Stevie Wonderの初期の名曲ですが、
Tormeがこの美しいバラードを
オーケストラをバックに歌っているのです。
ジャズ教室の発表会ならこれを聞け!とばかりに、
我がライブラリーをさがしたのですが、見当たりません。
きっとまた、誰かに貸し出したまま回収できていないのでしょう。
自己の事務管理能力の欠如を呪いつつ、
Amazonにオーダーしました。
な、な、ナンとこのすばらしいアルバムが¥699-なりとは!
Torme様に対して失礼とちゃうのん!
(そりゃ、安い方がうれしいけど・・・)
アルバムが届いたら、
New York State of Mindが入ってました。
瞬時にK'zでTourを組んでNew York へ行った、
ひと昔前を思い出しました。
Tour中のある日、
Tormeを聞きにアップタウンの高級クラブへ。
・・・名前が思い出せません・・・
Henry'sでもなしTony'sでもなし・・・
同行の男性レッスン生がTormeの大ファンで、
滞在中そのクラブへ日参していて、
オーナーが彼の名前をおぼえてしまいました。
シンイチなのですが、
オーナーは彼をシ・二・チと呼んでました。
当時ここは映画監督のWoody Allenが、
気が向くとクラリネットを吹きにくるという、
オーソドックスなJazzを聞かせる有名店で、
ライブハウスというよりは、
大人のクラブという趣き、
客層は白人ばかりの中・上流階級、
それも年齢層の高いお金持ち風のカップルばかり。
ゆったりと食事を楽しんでおられます。
そこへ我々K'zご一行様が十数名の団体で、
ステージそばを占領。
中にはTormeが何者かも知らぬ初心者も混じり、
時差ぼけと連日の強行軍で一杯飲むと、
船を漕ぐ奴もいたりして、
恥ずかしいやらもったいないやらで、
引率の私は歯噛みする思い!
(もう、つねったろか!)
トイレに立ったら、トイレの前で
Tormeおじさんが出を待ってるじゃありませんか。
背は高からず、高からず、私とぼちぼちです。
太ってはいないのに、
お腹がサンタクロースみたいに出っ張ってました。
出待ちの時に色々と話しかけられるのは、
自分がその立場なら実に迷惑だと思うので、
とりあえず敬意だけ表わそうと、
『おじちゃんを聴きにはるばる日本から来たんやで~!』
と言うと、
『日本は好きやで~』と返してくれました。
ステージが客席と近いので、ショーはとてもintimateなかんじで、
まだ10月でしたが、自作のChristmas Songを歌ってくれました。
サービス満点でドラムまで叩いてくれて、
オーケストラ編成のカラオケでも1曲歌いました。
(新しいアルバムのデモだったかも)
もっとも印象に残ったのは、
近くで見ることのできた彼の唱方で、
まるでマリオネットの人形のように、
口が上下にパクッと開くのです!
あ~これが彼のあの素晴らしい
声のコントロールの秘密だ!と、
以後のレッスンでは、必ず例に引いて
口のあけ方を見せました。
私も当時、
まだまだ水を吸い込む余地のあるスポンジだったのです。