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しばらくぶりに、この歌を歌いました。
甲子園麺匠でのこと。
さだまさしさんが、雪村いずみさんのために書いたこの曲。
雪村さんは私の“My Way”と大切にしておられます。
20年ちかく前に、当時私がプロデューサー・マネージャーとして担当していた
男性歌手のために見つけてきた曲です。
雪村いずみさんは、美空ひばりさん、江利チエミさんとともに、
昭和30年代から三人娘の一人として喝采を浴びた歌い手です。
いずみさんとチエミさんはジャズシンガーとして、
ひばりさんは演歌の大御所として一世を風靡しました。
私は小さい頃から、この方々の歌を聞いて育ちました。
世の中にシンガーが溢れる前の時代ですから、
有名歌手は限られていました。
今になってはじめて分かることですが、
この三人は若くして、今のアイドル歌手などは及びもつかない
才能と技量を備え、魅力に溢れていました。
若くしてスポットライトを浴びた3人も今では、
ひばりさんもチエミさんも夭逝されて、
いずみさんお一人が歌い続けておられます。
その彼女のためにさだまさしさんが書き下ろした曲。
そこには栄光を手にした歌い手にしか分からない光と影、
同じ道を選びながら、先に逝った友人たちへの思いが
彼女にしか歌えない説得力をもって綴られています。
この歌はそのキャリアにおいてトップの座を経験したことの無い者が
歌うのは僭越に過ぎると思われる歌詞がでてきます。
しかしドラマチックな歌としての完成度の高さは、
歌い手なら必ず挑戦したいと思うはず。
ドラマとして演じきればよいと、自分を納得させて
当時彼に歌うように勧めました。
それから約20年が経ち、
私の人生も後半にさしかかり、
今一度この曲と向かい合ってみると、
頭の中のイメージとして、演じて歌っていた歌詞が、
具体的に十分な重さを持つ事実として迫ってきました。
エクササイズで歌っている時にも、
同じ箇所でこみ上げてくるものがあって、
ぶざまな涙声になってしまいます。
『自分が泣いてどないするんや!客を泣かすんや!』
これを歌うと感情移入が過ぎてすぐにウルウルする彼に、
檄をとばすのが当時の私でした。
ああ、それなのに、これはマズイ!
これでは歌として破綻をきたす。
自己陶酔と自己憐憫にどっぷり浸かった歌ほど、
鼻につくものはない!
そんな歌は最低や!と公言してはばからなかった私です。
いったん内容を昇華して、熱くはあっても客観性を失わない
歌を歌うべきだ!
・・・と断言するパワーが昔はありました。
何かを愛したり、嫌悪したり、こだわったりするには
むき出しのパワーが必要。
しかし今では何のこだわりもなく、
涙腺が反応してしまう・・・これは一体どうしたことか・・・
これは、自己陶酔でも自己憐憫でもなく、
自分の来た道を客観的に振り返ることで、
必然的に起こってしまう事態のようです。
あるベーシストが言ってました。
昔はくさいと思ってたのに、
今は、『あれ』を聞くと涙が止まらない・・・と
『あれ』・・・とは、
“ Yesterday When I Was Young ”
だそうです。
91歳。
すばらしいピアニストでした。
ピアニストとしての業績や、
音楽性云々などは私が紹介するまでもありませんが、
死亡記事の末尾には、こうありました。
マリリン・モンローがケネディ大統領の誕生日に、
『Happy Birthday』を歌った時の伴奏を努めた・・・と。
そうだったの・・・と思うと同時に、
彼の業績をあらわすのが、これなの?・・・
でもこれこそが、彼のお人柄を表すエピソードかもしれません。
ず~っと昔に、四大ピアニストの競演というコンサートがあって、
Hank Jones, John Lewis, 女流のMarian Mcpartland,
・・・あと一人が思い出せないのですが・・・すごい顔合わせでした。
ホールには四台のコンサートグランドが向き合って並び、
あまりインストのコンサートへ足を運んだことのない私にも、
これがとんでもなくすごいイベントだと理解できました。
Vocalistの伴奏者として録音でHank Jonesを聞くことはあっても、
生でソロプレイヤーとして聞くのは全く初めての経験でした。
名手同士のプレイですから、いずれもすばらしいのですが、
初めてまじかで聞くHank Jonesのピアノのタッチの美しさは
その四人の中でも際立っていて衝撃的でした。
Breathtakingとはこういうときに使うのね!と、
英語のおさらいをしてしまいました。
彼のプレイは無駄な音の無い、饒舌とはかけ離れた雄弁さとでもいうのでしょうか、
あー、ピアノはこう弾くものなんだと一瞬にして理解できた気分でした。
その尊敬の念はいつも心の中にあって、
生前の彼には直接お会いしたことはありませんが、
彼を知る関係者から聞く彼の人となりは、
温厚で誠実、とても好ましい方という印象を受けました。
近年は、大阪音大の客員教授として若者を指導してもおられました。
あつかましい例えですが、
もし、伴奏者として、
世界中から好きなプレーヤーを選んでいいといわれたら、
マリリン・モンローのようにへろへろの歌でも、
安心してすべてをさらけだして、託すことのできる、
『やっぱり、Hankね!』といいたい。
ゆっくりお休みください。
演奏ジャンルは問わず、
ただし原則的にacousticに限りです。
ここ北野界隈には、
神戸Jazz Streetなどでおなじみの、
老舗の有名ライブハウスが軒を連ねています。
traditional なJazzを中心に演奏する
それらのライブハウスとは、
一線を画した音楽の提供というのが、
ここクレオールのオーナーのコンセプトとお見受けしました。
今やライブでは,
ライブチャージとは別に、
1ドリンク、1フードをと
義務づけられるのは当たり前というのに、
入場料としてその日の指定金額を払えば、
飲み物など飲んでも飲まなくてもOK!
なんと、太っ腹!
しっかりTune UpされたYAMAHA のC7!
ピアノのバランスが悪いなんて、
音楽を聞かせる店としてあるまじきことなのですが、
これは当たり前のようでいて、
商業的にはなかなか徹底されにくい要件です。
リハで音出してみたら、
ウッソやろ~!!!というような
ピアノに出くわすことも、ままあり。
むかつくのか、ピアニストはわざと
ピッチの外れたその音を使いまくり、
しかし店側は知らぬ顔を決め込むなどという
光景には一度ならず出くわしました。
それもこれもメンテナンスにお金がかかり、
常によい状態をキープするには、
経済の原則が働いて厳しいものがある・・・
にもかかわらず、この気持ちよいバランス!!!
ここまで徹底するとは、
どんな癖のある偏屈なおっさんが経営してはるのか(失礼)、
と思えば、スラリとして思いのほかお若い。
コンサートホールのような音響だと、
常々噂に聞く音場は、ホントにバランスよく耳に心地よい!
当夜は星野正生トリオの出演でした。
よくある、JazzはOh,Yeh! でっせとばかりに
盛り上がればOK!式ではない、
絵の見える音世界です。
ステージの後ろに下がっているカーテンがホリゾントなら、
映像が浮かび上がってきそうです。
プレーヤーにとって、
この空間を絶妙なサウンドバランスで埋めて、
Passionをキープしながら演奏するには、
大変な忍耐が必要だと思いました。
クラシックホールで聞くように音の隅々までが聞こえて、
濁ることがありません。
やわらかく音に包まれるので、疲れません。
ライブハウスは、
特別なケースを別にして、ビジネスとして成り立つ要素は薄く、
オーナーの趣味として頑張り通すしか継続の方法はない
・・・というのが今まで見てきた多くの例に対する私の客観的な感想です。
それゆえ、当然の結果としてオーナーの意向が、
出演者を選ぶ当然の基準となり、
同好の士のみで構成される、
閉鎖的な空間を作ることにもなります。
しかしながら、多大な犠牲を払って経営を続けておられる
名物オーナーの存在も昨今の経済状況では、
絶滅寸前の希少種になりかけています。
世界は経済で回っている。
残念なことですが、これは偽らざる事実です。
それゆえ、
偏屈ななんて、失礼な言葉を吐きましたが、
これは反面、私の尊敬の念を表してもいるのです。
理想だけでは、現実に打ち勝てない。
少数派よりは多数派。
Payしないものは消え行くのみ。
でも、どうぞその流れに棹差して、その偏屈をつらぬいて、
がんばってくださいませ。
陰ながら応援しております。
すでにサイトでも
紹介されつくしているようですが、
絶品ミル貝をこの値段でたべられるのは、
多分ここしかないのでは・・・
神戸三宮、北野にある
ヴェトナム料理の鴻華園です。
はじめてミル貝と出会ったのは、
やはり神戸の元町別館牡丹園でした。
なんて美味し~いの~!!!
うすく削ぎ切りした、
ミル貝にさっと火を通して、
白髪ねぎと香草を添え、
調味料を回しかけていただきます。
しかしながら、なかなかお値段との
折り合いがつかず、
足しげくは通えません。
ここ鴻華園では、その半額ほどの値段で
おいしくいただけます!!!
蒸し春巻きです。
油で揚げた春巻きや生春巻きは、
最近どこでも食べられますが、
この春巻きの皮のもっちりとした、
舌触りは、やみつきになります!
右は大海老の塩炒め。
といっても油でからりっと、
軽く揚げてあります。
カリカリにんにくが、
散らしてあって、いい香り!
頭からしっぽまで、
まる齧りです!
他にもいっぱい食べたのですが、
食欲がリポート欲に勝るため、
写真を撮り忘れることしばしば。
すべてをご報告できません。
お許しを。
本命のライブ報告はまた、次回に。
食欲には勝てません!
神戸Kホテルへ。
ずっと以前から
その評判は聞こえていて、
是非一度、とは思っていましたが、
神戸に泊まる必要もなく、
今日までその評判を
確かめられませんでした。
今回機会を得て、
B級グルメを自認する淑女(?)4名
その朝食に胸おどらせて宿泊いたしました。
フランスのスモール・ラグジュアリー・ホテル協会から
“世界一”の朝食を提供するという、
称号を与えられたプチホテル。
部屋数も30室しかなく、フランスのオーベルジュ風に
美味しい食事で客をもてなして、
ゆったりした時間を過ごさせてくれるというのが
ホテルコンセプトです。
部屋はこの通り趣味の良い
ヨーロピアンテイストで、
スタンダードツインでも、
ゆったりとしてくつろげます。
バスとトイレはガラスの仕切りがあって
独立しています。
バブルバスタブで、シャワーも
バスタブの外のスペースにあり、
これまたゆったりしています。
トイレにはウォッシュレットがついてます。
家具、調度品はアンティーク仕様で落ち着きます。
ウ~ム、お部屋は100点満点!
さて翌朝,期待ふくらむ世界一の朝食です。
フランスでは朝、
サラダを食べる習慣がないとのことで、
そのかわりに果物を摂るのだそうです。
今朝は、青りんごと洋ナシ、
ミックスベリーとバナナ、
グレープフルーツ、
アプリコットとにんじん、
そしてもものジュースがまずサーブされました。
牛乳で煮たタピオカとフルーツの盛り合わせ、
紅茶で香り付けしたプルーン、
そしてヨーグルト。
パイナップルが薄くスライスしてあって、
我々の知るパインのように真ん中に
穴がない!
不思議!
ハム。
横に見えるのは、岩塩です。
右は色々なジャム。
木苺とチョコレートなんてのもありましたが、
チョコが邪魔せず、フルーティーでした。
アーモンドのペーストもなかなか。
全部自家製で無添加。
バターは、トマトやハーブを練りこんだものも。
はちみつは兵庫県産の栗の花のもの。
栗の香りのような珍しい風味がしました。
半熟卵は、
この写真の器具で、
殻を割ります。
右手で持ち上げている小さな球体を、
二、三回上から下へ落とすと、
器具が覆っている卵の上部に、
切り込みが入って、殻を剥くことができます。
スプーンでやった方が早い!
・・・食卓のショーアップですね。
これに、バスケットに山ほど盛られたパンや、フィナンシェ。
カフェ・オーレ。
コーヒーとミルクが別々に運ばれて自分で好きな濃さにいれます。
さて、世界一といわれる朝食の評価は?
ジュースは確かにナチュラルでしたが、スクィーズしたというより、
ミキサーにかけた感じでどれも重いのです。
新鮮な果物をそのまま食べるということなのでしょうが、
いかにグラスが小さくてもお腹がふくれてしまいます。
(それじゃ、飲まなきゃいいだろうって?)
そこがくいしんぼのつらいところ。
おまけにカフェ・オーレがでてくるまでに水気はこれしかなかったのです。
まず珍しいタピオカのミルク煮。
面白い食感ですが、これまた重い。
ハムを一口。
うーむ、なんかパサつく。
よいハムを食べたときのお肉の脂肪がかもし出すジューシーさがありません。
そして、パンが来ました。
一口目、これはいけません!
こんなパンを出しているようでは、
世界一はおろかトンガ一にもなれません!(トンガの皆さんすいません)
たくさんあるジャムを試したかったので、
私がまず食べたのは、ブリオッシュ生地のトーストでしたが、
小麦粉が悪いのか、練りがわるいのか、
舌触りがパサついて、のどを通りません。
おまけに焼きすぎて焦げてます。
ここで意欲が失せました。
半熟卵は、殻割りのパフォーマンスは面白いのですが、
温度が低く、おまけに火が通りすぎていました。
半熟のかたさの好みは人それぞれでしょうが、
世界一を謳うホテルであれば、
客が席についてから、サーブまでの時間を逆算して
茹ではじめるべきだと思います。
この卵の温度の低さと半熟の茹で加減の行き過ぎは、
多分、卵をお湯から出してサーブするまでに、
放置された時間が長すぎたのだと思います。
これでは、世界一の名が泣きます。
このホテルでは、ダイニングルームスタッフの
客席への気配り、目配りが足りません。
何度手を上げて合図をしても、
誰も見ていないことがあり、
がっかりさせられました。
客に対する行き届いたホスピタリティーこそが
ホテルにとっての必要不可欠な条件だと我々は考えますが、
パンや卵、スタッフの気配りの欠如など、
世界一の朝食を看板に掲げるのであれば、
その条件を満たしているとは思えません。
ちなみに、宿泊せずにこの朝食だけを食べるとしたら、
いくらか聞いてみました。
¥4,725-だそうです。
多分この金額でこの朝食を出されたら、
私は暴れているかもしれません!