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大阪のJazz Studio"K'z"のブログ
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いよいよ夏本番!

 昨日25日は天神祭でした。

今朝の新聞に船渡御(ふなとぎょ)と夜空を飾る花火の記事が出てました。

いつもは我が家からも少しは花火が見えるのですが、
全く失念していました。

それで思い出しましたが、
K'zのメンバーで天神祭関係の
ボートレースのボートに乗ってた方がありました。
私とほぼ同い年くらいのマダムです。
『え〜?漕ぐの?』と聞いたら、
『まさか〜!太鼓叩いて叱咤激励する役です〜!』
適任だね!声は大きいし!
また今年も乗ってるのかしら〜?

3b7614ad.jpgこちらは、
三大祭りの天満天神ほどでは
ありませんが、
福島の天満宮の夏祭りです。










たまたま近くを通りかかったら、9f8f0876.jpg
御神輿が練り歩いてました。





00007d44.jpg






子供神輿なのね。
大人が担いでるけど。





子供のころは
ちっとも興味なかったのに、
おばさんになったら、うれしくなって追っかけるのは何故なんでしょう?

ご近所のT祭のグランド整備がそろそろ始まるはず。

あ〜、もうじき淀川花火大会だあ〜!

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 台風一過、                    a4b10263.jpg
早朝の蝉しぐれが一斉に始まりました。

You Tubeでしらべたところ、
どうやら、ニイニイ蝉とクマ蝉が
早朝の大合唱の主のようです。

自然はすべてお見通し、
台風の予兆で荒れ模様の前日は、
雨も降っていないのに、
蝉の声がしませんでした。

台風情報では、この大型台風は
まだ関西地方を通過していないと
告げているのに、
蝉が鳴き始めたのでもう大丈夫と、
洗濯物を干しました。

きっと昔の人は、自然からこうして啓示をもらっていたのでしょう。

文明の発達が置き去りにしてきた沢山のことを、
大切にしなければ・・・と最近痛切に思います。

d28135e7.jpg16年前の阪神淡路大震災の日のこと。

その前日、
東京にいた私は本来なら
もう一泊するはずでした。
が、なにやら気が急いて、
最終の新幹線に飛び乗りました。
1月16日、
東京は凍てつく寒さでした。


新大阪に着いたら、
空気がむっとするような生暖かさで、違和感を感じました。
タクシーを降りて、空を見上げると、
赤いというか、
まるでオレンジのようなぎょっとするほど
大きな月が目の前に迫ってきました。
何か変だな〜何でこんなに空気が淀んだ感じがするのかしら・・・と。
地震とは全く縁がないと思い込んでいた我々関西人でした。

今になって思えば、
きっと自然は私達に教えようとしていたのではないか、
遠い昔に自然と共生していた人類が持っていたはずの感覚で、
災厄を予知することを・・・なんてあとで思いました。

私は超常現象信者ではありませんが、
これまでに何度かある種の感覚を経験したことがあります。


それは、深く関わった相手に対する思いから生じた妄想かもしれませんが、
その時には気付かず後になってあれがそうだったのかも・・・
というような感覚です。

最初は母の亡くなった日でした。          6c6a7ad5.jpg
翌日の葬儀場での通夜まで、
病院の霊安室に
遺体を預かってもらうことに
なりました。
母を一人病院に残すのは
可哀想でしたが、
狭い集合住宅の我が家には
連れ帰れなかったのです。
葬儀の手配を済ませてから、
霊安室に顔を見に行きました。
低温で安置されている母に、
『じゃ、うちに帰るからね』と声に出して告げました。
その途端、左の肩がぐっと重くなったのです。
その時は誰にもその話をしませんでしたが、
『あ〜、きっと母は一緒にうちに帰るつもりなんだ』と、
一人納得したのです。

その次は、友人が亡くなった日のことです。
バカボンのディベートの練習につき合っていた冬の夜、
何とも言えない、憂鬱で重苦しい気分が追い払えずにいました。
そんな気分になる状況ではなかったので、余計に不思議でした。
翌日彼女の娘から、部屋が片付いていて本人がいない、
遺書めいたものが残されていると電話があった時は、
すぐに警察に保護願いを出すように告げましたが、
もうその時には彼女がどこでどうしているのか、
分かっていたような気がします。

そして彼女の49日の日、
家族と数少ない友人が集まっての僧の読経の最中に、
ぐーんと引き込まれるような眠気とともに、
両肩にずっしりと重みがかかってきました。
『今、ここに来てるのね』と勝手に解釈しました。

それからも何度か深く思いやる人の臨終前に、
同じ状態が訪れることがあります。
何だかむやみに眠くて身体が重いなあ〜と思っていると、
『危篤状態だ』と、連絡が来ます。

しばらくして、私の身体が楽になると、
『もうダメかも、意識がない』との連絡が。

その時には、臨終の床で呼吸はしていても、
魂はきっともう旅立ったのねと理解するのです。

これはすべて私の勝手な思い込みで、
死に行く人に対する私の思いが、
自分に都合のよい解釈をさせているだけなのかもしれません。

起ってしまった事に後から霊的な解釈をつけるのは、
部外者からすれば眉つばものでしょうし、
私自身若い時にはこの手の話は全く信じていませんでした。

が、しかし多くの別れを経験すると、
こんなことがあってもおかしくはないという気になります。

歳をとり、現実世界への剥き出しの執着心が薄れて来ると、
太古の昔にはすべての人間に備わっていた、
第六感、Sixth Senseとやらが息を吹き返して来るのかも。

くれぐれもお間違いなく、
私は霊能相談所を開設する気は全くありません!
あ〜、それができれば儲かるだろうに〜!!!   7c0afb9a.jpg
85d295dc.jpg 2011/7/18
あっという間の一年で、
又ケイズの発表会がやってきました。

今年は未・曾・有・という
形容が百出する災厄が日本を襲い、
その上にまた、
ミ・ゾー・ウ・の政治の混乱が災厄に
一層の拍車をかけて暑い夏に突入しました。

各教室の皆さんはそれぞれ、
こんな時だからこそと、
発表会の歌唱曲を選びました。

東日本では多くの命が失われて、
その事実に被災地から遠く離れた我々はただボーゼンと
なす術もなく立ちすくみ、
被災してない我々が東日本を支えるのだ!という
付け焼き刃の空元気も日常という厳しい現実の重さに、
日に日にしぼみつつあります。

8a8448ae.jpg今日、今、この場所で私達にできることは
歌う事しかない・・・という
今回の発表会でした。

当日は24回の発表会中、
はじめての雨でした。
台風接近による
この雨では客足が遠のくな・・・
というもっともらしい
言い訳など不必要。
いつものように出演者の方が
お客様より多くて・・・
それゆえ、みんなの歌が
しっかり聴けて、
こんな時だからこそ、
歌っていられる幸せを肌で感じられたはず。


39067229.jpg
『また来年!』と締めくくる
フィナーレの言葉に、
嘘はありませんが、
もしかしたら、
我々の意思に関係なく
来年はないかも・・・

参加者みんなが
幸せに歌える来年が
来ますように!

また、来年!


 今日は雨上がりに珍しいものを見ました。  83a48f03.jpg
『虹』です。
もう何年も見てませんでした。


東日本大震災を経てこれを見ると、
何だか自然が我々に見せてくれる
『希望』のような気がして、
清々しくなりました。



85952d68.jpg


よく見ると、
『虹』が二本並んでます。
かろうじて薄く右側にみえるでしょう。









この世を去ったi Macのアイ子ちゃんを、
定位置からお蔵入りさせて、あたりを整頓していたら、
10年ほど前に書かれた作文が何種類かひょっこり出てきました。

どうやら、当時15才のバカボンの宿題『400字で自己表現を!』
という課題に触発されて、では私もとばかりに挑戦した習作のようです。

かく言うワタクシ、う〜んと若かりし昔、
シナリオライター養成コースに通ったこともあるのです
・・・何か書いてみたかったのね。

そのうちの一つ、「私」という題がついてます。

 私は母である。
15才の少年の親である。
働くシングルマザーで、数々の病気を経験したにもかかわらず、
いつも不幸中の幸いという言葉で危機を回避し、
病弱という美女には
つきものの形容からはかけ離れて、丸々と福々しい。
いつも元気はつらつで憂い知らずと、他人の目には映るらしい。
実に腹立たしい。

私は教師である。
歌を教えている。
ジャズなどという外国の音楽を外国語で歌うという
非常に
困難な作業をアマチュアからプロまでに、
したり顔で指導するのだ。
いつもこれでいいのかと不安にかられる。

 私は社長である。
会社は万年赤字で経営の才に恵まれているとは到底思えぬ。

 私は歌手である。
その昔、ほんの一握りの人から支持されたことがある。

これだけの憂鬱を抱えながら、
毎日にっこり微笑むことができる私を
誰かの言葉ではないが、誉めてやりたい。

換骨奪胎全くのパクリだね。
意図して漱石の『我が輩は猫である』の文体を真似てみた〜?
こんなの書いて悦に入ってたなんて、こりゃダメだ〜!

またある時は、全日制の英語通訳コースにも通いました。
勿論仕事しながらなので、
睡眠時間をけずりました。
語学、特に英語は少女のころからの興味の対象でしたし、
一年の前期だけで辞めた大学では英文科にいました。

通訳コースの実地研修に行って、
担当の先生から通訳ガイドの報酬の額を聞いてがっかり。

こんなに勉強して、国家試験をパスして、こんなに長時間拘束されて、
そんなに安いなんて!・・・や〜めたとなった訳です。
当時歌うことでそこそこ稼いでいましたから。

それじゃあ、食えねえ!

これが一番大きな理由です。

親の扶養を離れて以来、
仕事とはそれに従事して食べられるようになることを指し、
音楽や演劇など趣味との境界線の曖昧なフィールドでも、
つまりその道で食える『プロ』になることが目標でした。

アマチュアとして音楽や演劇を楽しむという感覚は
何もできない何も知らない青二才の時から、
全くありませんでした。

それ故、いつも徹底的に自分に厳しく、
いつも自分の能力に満足できず、
その結果窒息しそうなくらい毎日が苦しくて、
私はきっとこの仕事に向いていないのだと、考え悩みました。

逃げ場のない日常に疲れ果てて、
職業を変えるべきかも!
脚本家ならどうか?通訳はどうか?
・・・なんてね。

いつも逃げ道を用意している人間に満足などあるはずがないと、
気付いたのは何度かの試行錯誤を経てからでした。
退路を絶たずに成し遂げられる道などあるはずがありません。

悩まずにすんなりその立場を受け入れられたのは、
『母』という役割でした。
いつも自分の居場所に違和感があってつらかったのに、
『母』は疑いもなく天職であると確信できました。
これは人間の本能であって、後付けの理論も理由も不必要で、
実に心が休まりました。
自分のために子供に感謝しました、
『私に居場所を与えてくれて』と。

子を持つ前は、小さな子供はうるさくて大嫌いでしたが、
自分がその立場に立つと、目線が子供の高さに下がって、
違う世界が目の前に広がりました。
物の見方は一つではないと、子供から教えられました。
『母』とは自然が授けてくれた資質ですが、
『親』とは、はじめから備わっている資格ではなく、
子を育てる過程で徐々に『親』になる資格を得ていくのだと、
肌で理解できました。
キャリアを築くというあのツライ作業に比べれば、
私にとって『母親』であることは議論の余地のない人間の本能であり、
その役割においては自分の存在理由を問いかける必要もなく、
必要とされている自分に理屈抜きで自信が持て、
はじめて一人の人間として自己を確立できたと確信できました。

そして、
人生のターニングポイントをいくつも通過した今では、
どうしてあんなにこだわって苦しんだのか、
よく思い出せません。
まじめで、一生懸命な人ほど、考えすぎるのを見て、
あ〜、若いのね、みんな同じ道をたどるのね、
そんなこと、そのうちもうどうでもいいことになるのよ、
でも自分で経験して越えて行くしかないのよね・・・と、
おばさんはつぶやくのです。

虹のあとは晴天です。         e24bdaec.jpg


 昨日、官邸に怒りの罷免要求メールしたら、
今日は辞任となりました。

他のメディアは知りませんが、
うちで取っている日本経済新聞には、
メディアに対する恫喝の言葉、
「これを書いたら、その社はもう終わりだから!」も、
報道されていました。

引き際はあっさりしてましたね。
何しろ総理のみっともない自己保身の振る舞いが際立っているので、
余計にそうみえるのかも。

というか、この潔い(?)辞任の底には、
彼の被災地に対する言動が、
社会的な批判に堪えるものでないという
自身の反省の上に立つというよりは、
沈みかけた管内閣で批判に耐えても大臣の椅子に執着し続けるだけの、
意義が彼の中で見いだせないという側面があるような気がします。

意地の悪い見方ながら、
あの映像を見られた方には理解できると思いますが、
この人物の意識には自身の言動が並外れて不遜かつ危険であるという
自覚があったとは思えません。

元社会党員であり、今まで野党で反体制側にいたはずの政治家が、
政権を取ったらすぐに言論の自由を封殺するような言葉を吐けること自体、
その人間の変わり身の早さと主権に対する根本的理解の欠如を現しています。

この方のような人物がご都合主義で寄せ集められ、
民主党を形成しているのなら、
期待などできるはずがないのです。

まあ、とにかく辞めてくれてよかったですが、
民主党にはほとほと呆れ果てました。

このアホ政党に期待して一票を投じた自分の不明を心から恥じて、
慚愧の念に堪えませんと、
官邸にメールしましたが、
どうぞ同じ思いを持たれている皆さん、
黙っていないで声をあげましょう!

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プロフィール
HN:
びわももよもぎ
性別:
非公開
自己紹介:
枇杷、桃、蓬はもう一生食べられないアレルギー体質の私。
アレルゲン山ほどの世の中で、
負けずに闘う
アレル(荒れる?)バスター、
ここにあり〜だぞ!!!
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